犬の耳

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読んだ本、聴いた音楽、観た映画などを忘れないための「いぬのみみ」です。くらしのお役立ち情報もお伝えします。

夏目漱石『草枕』

[あらすじ]

智に働けば角がたつ、情に棹させば流される―春の山路を登りつめた青年画家は、やがてとある温泉場で才気あふれる女、那美と出会う。俗塵を離れた山奥の桃源郷を舞台に、絢爛豊富な語す彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描き、自然主義や西欧文学の現実主義への批判を込めて、その対極に位置する東洋趣味を高唱。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』とならぶ初期の代表作。

 

最近、『草枕』冒頭部分の一節をよく思い出す。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

そして文章は以下のように続く。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 

ロシア滞在中、ホテルの一室でこの本を読んでいた。当時、私は世界中を旅していた。今から考えれば、単に日常生活から逃れたかったのかもしれない。右へ左へ飛び回っていたが、アフリカはスーダンの村に滞在した夜、野外で満点の星を見たとき、私はようやく『どこへ越しても住みにくいと悟った』。

 

古めかしい文体のこの作品に、明確な筋書きはない。話題は散らかっている。「那美」という女性が出てくるが、彼女にはつかみどころがない。結局最後まで、よくわからないまま話は終わる。漱石は作中で、理想の文学はどのページを読んでも作品として成り立つというようなことを述べ、筋書きがある文学に対して抵抗している。私はそれに対して好感を持った。

 

漱石について自分が何かを語ると漱石を読み込んだ人たちに怒られそうだが、『私の個人主義』や他の作品から伝わってくる、彼の文明に対する洞察力には敬服する。他の人々が西洋文明に浮かれていたころ、漱石は現代文明の深い部分の限界や矛盾に気づいていた。それが、私が漱石の頭の中に惹かれる理由である。

 

果たして『どこへ越しても住みにくいと悟った』私の内側には、『詩が生れて、画が出来る』のだろうか。それともできないのだろうか。何にせよ、いつかは読み返したいと思っている一冊。

 

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

 

 

わたしの本棚

はてなブログ今週のお題が「わたしの本棚」だったので、流行に乗って自分の本棚について少し書いてみようと思う。

 

東京に住んでいた頃、私は図書館で本を借りる派だった。経験上、買った本は「いつでも読める」と安心して先に延ばす。買ったこと自体に満足して読まない。対して、図書館で借りれば期限があるし、返してしまったら手元になくなるので内容を頭に入れようとする。だからまずは図書館で借りて、よっぽど気に入った本だけ買うことにしていた。

 

それでも本は増える。そこで引っ越しの機会を利用して、選りすぐりの数冊以外は全部売ってしまう。

 

日本最北限である礼文島に移住してからは、もっぱら本はAmazonで買うようになった。結果、島に来てまだ3ヶ月にも関わらず、本は本棚からあふれてしまった。

 

引っ越すたびに、本棚から本の数を減らして、最終的にゼロになるのが理想だ。立派な本棚、書斎を自分の部屋に作るくらいなら、大学図書館の隣に住んだ方が良いと思ってしまう。

 

図書館で本を借りるスタイルのデメリットとして、そもそも何を読んだのか忘れてしまうことがある。そんなことは、気にしないことだ。

 

私の本棚にある中で、ブログに紹介するつもりのない雑多な本達(しかしどれもオススメ):

 

礼文 花の島を歩く

礼文 花の島を歩く

 

 

中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

 

 

【特典PDF付き】ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]

【特典PDF付き】ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]

 

 

チャールズ・チャップリン『ライムライト』

[あらすじ]

人生の美しさと哀しみを、残酷かつ美しくつづった、チャップリン白鳥の歌
落ちぶれた老芸人カルヴェロは、自殺未遂をはかったバレリーナを救う。彼女は足の病気で二度と踊れないと絶望していた。カルヴェロは彼女を励まし、勇気づける。そして自信を取り戻した彼女は再び舞台に立つ……。
チャップリンが生まれ故郷のロンドンに戻り、老境に入った自分自身の心境を吐露したセンチメンタリズムあふれる傑作。「人生を恐れてはいけない。人生に必要な物は勇気と想像を力と少々のお金だ」というあまりにも有名なセリフにはじまる、チャップリンの人生観が反映された人生訓のような名ゼリフの数々、アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞した名曲「テリーのテーマ」の哀感にに満ちた調べ、チャップリンと共にサイレント映画時代に喜劇王の異名をとったバスター・キートンと繰り広げる爆笑のボードヴィル芸など、チャップリンの映画人生の集大成ともいうべき作品である。

 

学生時代、 ろくに授業にも行かずに大学図書館チャップリンを毎日見続けた時期があった。確か、梅雨の只中だったと思う。『独裁者』の名演説に感動し、『モダン・タイムス』の皮肉に笑い、短編集では爆笑した。私は小柄なチャップリンの表情の奥深さ、喜劇の中に織込まれた重層的な作品世界にすぐに引き込まれた。そんな私のお気に入りで、その頃盛んに友人たちに勧めていたのが、この『ライムライト』である。

 

この作品、とにかく名言の塊である。チャップリンの、人生、生きることに対する熱意が伝わって来る。例えば、有名な以下のセリフで、喜劇王チャップリンは脚を故障して人生に絶望している若いバレリーナに語りかける。

 

“Life can be wonderful if you're not afraid of it. All it takes is courage, imagination ... and a little dough”

 

 

最も好きなシーンは、チャップリンとバレリーナの立場が逆転するところだ。ベテラン喜劇王は舞台に上がるも観客にそっぽを向かれ、次第に追い詰められてゆく。そんなチャップリンに対して、バレリーナは情熱をもって生きることを熱く語る。その瞬間、今まで「故障していた」バレリーナの脚は治り、立ち上がる。その場面に私は心を強く打たれた。

 

雨の日、家にこもると決めたときにオススメできる作品。

 

 

 

アルベール・カミュ『異邦人』

[あらすじ]

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。 

 

あらすじを読むだけでも衝撃的である。内容はもっと衝撃的だ。

 

一見、支離滅裂で倫理観に反しているとしか思えないような主人公。だが読書を通してムルソーの主観的世界を覗けば、彼の『思想』にはある種の一貫性があるように思えてくる。自身の感覚に素直な主人公の中に誠実さを垣間見る。

 

 この作品は、描写が綺麗である。中でも「殺害の動機」として主人公ムルソーがあげた浜辺で太陽を仰ぎ見るシーンはきらきらしていて暖かい。文章は美しくて透明だ。作品を通して「倦怠感」あるいは「気だるさ」が伝わって来る。

ムルソーのような生き方、考え方がいいことなのか、私にはわからない。しかしこの本を読んで、私は肩の荷がおりたような気がした。

 

善悪の倫理観の枠組みが揺らいだ現代に生きる我々にとって、予言的な本であることは間違いない。

 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 

オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』

[あらすじ]
人工授精やフリーセックスによる家庭の否定、条件反射的教育で管理される階級社会――かくてバラ色の陶酔に包まれ、とどまるところを知らぬ機械文明の発達が行きついた“すばらしい世界”!人間が自らの尊厳を見失うその恐るべき逆ユートピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説。 

 

もっともお気に入りの一冊だ。本州から礼文島に移住した時に持ってきた、数少ない本のうちのひとつである。

 

このディストピア小説が書かれたのは20世紀前半、フォーディズムの時代である。作中、自動車王フォードは神として崇拝の対象になっている(人々は、十字ならぬT字を切る)。みんなが楽しみ、愉快に笑い、不特定多数と快楽のためだけにセックスをしているような「すばらしい」世界。ほどよい労働に従事し、何か嫌なことがあっても「ソーマ」と呼ばれる薬を飲めば一気に幸せな気分になる。そんな文明世界を不安定にさせる「哲学」「芸術」「(本来の意味での)科学」などは、注意深く隠蔽されている。

 

作中の登場人物たちは、文明世界の虚しさや孤独に薄々気がつきながらも、どう表現すればいいのかわからずまごついている。主人公の人物、3人の若い男は友情を深めながら、文明世界とそれぞれのやり方で「対決」する。快楽を追求した文明世界の統治者である「総統」と、あくまで人間本来の尊厳を守ろうとする彼らとの長い議論は白眉である。

 

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

 

 

安部公房『砂の女』

[あらすじ] 

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。

 

芥川賞受賞作『壁』を読んで以来、安部公房の物語空間と、その奥にうっすら浮かび上がる<<実存>>の描写の虜になっていた。私はこの春、冬は雪かきに追われる北の島に移住したのだが、それをきっかけに本書を手に取った。

 

家に日々積もり積もる砂、少しでも手を抜けば家を押しつぶしてしまうような大量の砂を日々スコップで掻き出し自分たちの生活を守る女。自分が捕らわれたその業のような『生活』からあくまで脱出しようとする男。男は最後まで抵抗しようとする。しかし男は、本当に脱出したいと思っていたのだろうか?

 

 作中に表現された、湿った砂の味、女の肌触り、スコップを手に取ったときの感覚など、文章はどこまでも触覚的である。

 

日々退屈な毎日から逃れようとしつつも、本当は逃れたくないゆえに生活に安住してしまうといった矛盾や葛藤。

ともすれば目を瞑りがちな、自分自身の『生活』について見直すきっかけになる一冊。

 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

 

大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』(もうひとつの耳)

昔話を聞く、という経験をほとんどしたことがない。祖父母と暮らすことがなく、一年に一度か二度会うような生活だったからかもしれない。「むかしむかし、あるところに…」と始まる話は絵本の物語であって、さらに言えばわたしはそれを聞くのではなく読んでいた。昔話はおとぎ話であって、ちょっとした遠い国の出来事だった。

『M/Tと森のフシギの物語』は長い長い昔話である。本を読むわたしは、「僕」の声を通じてその祖母や母が語る昔話を聞いている。舞台となる山奥の村には、時代や季節が移り変わっても緑がいつも濃く匂っていて、なんとなく夏休みみたいだ。小さな村の大きな歴史は、ぐるぐると螺旋を描くように相似形を成して巡っていく。そのかたちは僕が言うところの「M/T」なのかもしれない。そしてかたちはいつの間にか、語りかける「僕」の日々に添うようにして、話を聞くわたしのすぐ近くに姿を見せたのだった。

螺旋が今へと続いていること、まだ続いていくことに気付いたとき、わたしは出来ればその螺旋の一部になりたいと思っていた。その意味はまだあまりよく分からないにせよ。

 

物語が一応の終わりを迎え、文庫本の末に挿入された解説を読んで、この物語が多分に作家の実経験に基づくものだと知った。それがまた衝撃で、じわっとくる。なんで物語を読むのだろうという問いに、答ではないけれど、何かが与えられた気がした。

そうして満ち足りた気分で、もう一度、最初のページを繰ってみる、

あるひとりの人間がこの世に生まれ出ることは、単にかれひとりの生と死ということにとどまらないはずです。かれがふくみこまれている人びとの輪の、大きな翳のなかに生まれてきて、そして死んだあともなんらかの、続いてゆくものがあるはずだからです。

 この二文が、びっくりするほど明るく、きれいに、響いてきた。

 

 

 

M/Tと森のフシギの物語 (岩波文庫)

M/Tと森のフシギの物語 (岩波文庫)