ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
[あらすじ]
本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇―。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極の恋愛小説。
「ニーチェの永劫回帰という考え方はニーチェ以外の哲学者を困惑させた」。こんな書き出しで始まる小説の内容は、紛れもなく哲学的である。通常では考えられないほど多数の女性と日々交わる精神科医トマーシュ、そんな彼のもとにスーツケースひとつで飛び込んできた若いテレザ、個性的な画家サビナ、そして幼児退行的な性格を持つ大学教授フランツ。物語はこの4人を中心にまわってゆく。第1部『軽さと重さ』→第2部『心と身体』→第3部『理解されなかったことば』ときて、第4部『心と身体』→第5部『軽さと重さ』と物語は戻ってゆく。クンデラ自身、クラシック音楽をとても愛しているようで、音楽から借りたイメージが多数出てくる。
この作品の内容的、思想的な解説、感想等はインターネット上にも溢れているので、ここでは私自身が作品全体を読んで何を感じたのか、感覚的なことを書こうと思う。
全体を通して、深いレベルで「悲しさ」「虚しさ」が通奏低音になっている。しかしそれはとらえようによっては悲しい「悲しさ」ではなくて、ある種愛しい、美しくさえある「悲しさ」である。何か具体的なものに対する反応としての「悲しさ」ではなく、人間存在そのものに対する「悲しさ」。それらをめぐって登場人物たちは物語を展開させる。クンデラのキャラクターの作り方は非常に論理的で、数理モデルを連想させる。物語の言葉は数学同様、抽象的で、透明である。作品はどこまでも幻想的で、文章を読みながら、自分の日常世界からは遠く離れた場所、例えば夢の中に作品の映像は再生される。
「人生は私にはとても重いものなのに、あなたにはごく軽いものなのね。 私はその軽さに耐えられないの」。作中に出てくるこの言葉が、ふとした瞬間突き刺さる。果たしてこの言葉は誰に対して言っているのか。直接的にはテレザがトマーシュに言ったものだが、それ以上の、人間の心の叫びのように思われた。
本作の雰囲気自体、とても良い。私は本作を読んだ後、実際に作中に出てくるプラハのペトシーンの丘にひとり訪れた。美味しいケーキのような、読後の余韻を感じたいときにオススメ。
- 作者: ミランクンデラ,Milan Kundera,千野栄一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1998/11
- メディア: 文庫
- 購入: 30人 クリック: 312回
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村上春樹『アフターダーク』
[あらすじ]
真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかでひっそりと深淵が口を開ける。
「風の歌を聴け」から25年、さらに新しい小説世界に向かう村上春樹書下ろし長編小説
マリはカウンターに置いてあった店の紙マッチを手に取り、ジャンパーのポケットに入れる。そしてスツールから降りる。溝をトレースするレコード針。気怠く、官能的なエリントンの音楽。真夜中の音楽だ。
大学2年生のとき、村上春樹を貪り読んでいた時期があった。彼の深層心理を覗くような物語世界は、何か他人事ではないような気がした。その中でも特に好きだったのが、『ねじまき鳥クロニクル』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、そしてこの『アフターダーク』だった。『アフターダーク』は、村上春樹の作品の中では異色だ。おなじみの、パスタを茹でてビートルズを口ずさむ「僕」が主人公ではなく、若い女性が主人公で、物語の視点は複数ある。陽が沈んでから、夜が開けるまでの少女の動きを追った作品だ。
夜の都会に大冒険するという、まさにタイトル『アフターダーク』がぴったりな雰囲気が作中から漂ってくる。主人公が住んでいると思われる場所にちょうど私も住んでいた。彼女の行動範囲と私の行動範囲は似通っていたので、余計その作品に引き込まれた。昔、終電を逃して、渋谷の夜明けを歩いていると、よくこの作品のことを思い出したものだ。
短くて、センスが良い。そんな本が読みたくなった時にオススメの一冊。
夏目漱石『草枕』
[あらすじ]
智に働けば角がたつ、情に棹させば流される―春の山路を登りつめた青年画家は、やがてとある温泉場で才気あふれる女、那美と出会う。俗塵を離れた山奥の桃源郷を舞台に、絢爛豊富な語す彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描き、自然主義や西欧文学の現実主義への批判を込めて、その対極に位置する東洋趣味を高唱。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』とならぶ初期の代表作。
最近、『草枕』冒頭部分の一節をよく思い出す。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
そして文章は以下のように続く。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
ロシア滞在中、ホテルの一室でこの本を読んでいた。当時、私は世界中を旅していた。今から考えれば、単に日常生活から逃れたかったのかもしれない。右へ左へ飛び回っていたが、アフリカはスーダンの村に滞在した夜、野外で満点の星を見たとき、私はようやく『どこへ越しても住みにくいと悟った』。
古めかしい文体のこの作品に、明確な筋書きはない。話題は散らかっている。「那美」という女性が出てくるが、彼女にはつかみどころがない。結局最後まで、よくわからないまま話は終わる。漱石は作中で、理想の文学はどのページを読んでも作品として成り立つというようなことを述べ、筋書きがある文学に対して抵抗している。私はそれに対して好感を持った。
漱石について自分が何かを語ると漱石を読み込んだ人たちに怒られそうだが、『私の個人主義』や他の作品から伝わってくる、彼の文明に対する洞察力には敬服する。他の人々が西洋文明に浮かれていたころ、漱石は現代文明の深い部分の限界や矛盾に気づいていた。それが、私が漱石の頭の中に惹かれる理由である。
果たして『どこへ越しても住みにくいと悟った』私の内側には、『詩が生れて、画が出来る』のだろうか。それともできないのだろうか。何にせよ、いつかは読み返したいと思っている一冊。
わたしの本棚
はてなブログの今週のお題が「わたしの本棚」だったので、流行に乗って自分の本棚について少し書いてみようと思う。
東京に住んでいた頃、私は図書館で本を借りる派だった。経験上、買った本は「いつでも読める」と安心して先に延ばす。買ったこと自体に満足して読まない。対して、図書館で借りれば期限があるし、返してしまったら手元になくなるので内容を頭に入れようとする。だからまずは図書館で借りて、よっぽど気に入った本だけ買うことにしていた。
それでも本は増える。そこで引っ越しの機会を利用して、選りすぐりの数冊以外は全部売ってしまう。
日本最北限である礼文島に移住してからは、もっぱら本はAmazonで買うようになった。結果、島に来てまだ3ヶ月にも関わらず、本は本棚からあふれてしまった。
引っ越すたびに、本棚から本の数を減らして、最終的にゼロになるのが理想だ。立派な本棚、書斎を自分の部屋に作るくらいなら、大学図書館の隣に住んだ方が良いと思ってしまう。
図書館で本を借りるスタイルのデメリットとして、そもそも何を読んだのか忘れてしまうことがある。そんなことは、気にしないことだ。
私の本棚にある中で、ブログに紹介するつもりのない雑多な本達(しかしどれもオススメ):
【特典PDF付き】ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]
- 作者: Robin Williams,小原司,米谷テツヤ,吉川典秀
- 出版社/メーカー: マイナビ出版
- 発売日: 2016/06/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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チャールズ・チャップリン『ライムライト』
[あらすじ]
人生の美しさと哀しみを、残酷かつ美しくつづった、チャップリンの白鳥の歌。
落ちぶれた老芸人カルヴェロは、自殺未遂をはかったバレリーナを救う。彼女は足の病気で二度と踊れないと絶望していた。カルヴェロは彼女を励まし、勇気づける。そして自信を取り戻した彼女は再び舞台に立つ……。
チャップリンが生まれ故郷のロンドンに戻り、老境に入った自分自身の心境を吐露したセンチメンタリズムあふれる傑作。「人生を恐れてはいけない。人生に必要な物は勇気と想像を力と少々のお金だ」というあまりにも有名なセリフにはじまる、チャップリンの人生観が反映された人生訓のような名ゼリフの数々、アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞した名曲「テリーのテーマ」の哀感にに満ちた調べ、チャップリンと共にサイレント映画時代に喜劇王の異名をとったバスター・キートンと繰り広げる爆笑のボードヴィル芸など、チャップリンの映画人生の集大成ともいうべき作品である。
学生時代、 ろくに授業にも行かずに大学図書館でチャップリンを毎日見続けた時期があった。確か、梅雨の只中だったと思う。『独裁者』の名演説に感動し、『モダン・タイムス』の皮肉に笑い、短編集では爆笑した。私は小柄なチャップリンの表情の奥深さ、喜劇の中に織込まれた重層的な作品世界にすぐに引き込まれた。そんな私のお気に入りで、その頃盛んに友人たちに勧めていたのが、この『ライムライト』である。
この作品、とにかく名言の塊である。チャップリンの、人生、生きることに対する熱意が伝わって来る。例えば、有名な以下のセリフで、喜劇王チャップリンは脚を故障して人生に絶望している若いバレリーナに語りかける。
“Life can be wonderful if you're not afraid of it. All it takes is courage, imagination ... and a little dough”
最も好きなシーンは、チャップリンとバレリーナの立場が逆転するところだ。ベテラン喜劇王は舞台に上がるも観客にそっぽを向かれ、次第に追い詰められてゆく。そんなチャップリンに対して、バレリーナは情熱をもって生きることを熱く語る。その瞬間、今まで「故障していた」バレリーナの脚は治り、立ち上がる。その場面に私は心を強く打たれた。
雨の日、家にこもると決めたときにオススメできる作品。
アルベール・カミュ『異邦人』
[あらすじ]
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
あらすじを読むだけでも衝撃的である。内容はもっと衝撃的だ。
一見、支離滅裂で倫理観に反しているとしか思えないような主人公。だが読書を通してムルソーの主観的世界を覗けば、彼の『思想』にはある種の一貫性があるように思えてくる。自身の感覚に素直な主人公の中に誠実さを垣間見る。
この作品は、描写が綺麗である。中でも「殺害の動機」として主人公ムルソーがあげた浜辺で太陽を仰ぎ見るシーンはきらきらしていて暖かい。文章は美しくて透明だ。作品を通して「倦怠感」あるいは「気だるさ」が伝わって来る。
ムルソーのような生き方、考え方がいいことなのか、私にはわからない。しかしこの本を読んで、私は肩の荷がおりたような気がした。
善悪の倫理観の枠組みが揺らいだ現代に生きる我々にとって、予言的な本であることは間違いない。
オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』
[あらすじ]
人工授精やフリーセックスによる家庭の否定、条件反射的教育で管理される階級社会――かくてバラ色の陶酔に包まれ、とどまるところを知らぬ機械文明の発達が行きついた“すばらしい世界”!人間が自らの尊厳を見失うその恐るべき逆ユートピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説。
もっともお気に入りの一冊だ。本州から礼文島に移住した時に持ってきた、数少ない本のうちのひとつである。
このディストピア小説が書かれたのは20世紀前半、フォーディズムの時代である。作中、自動車王フォードは神として崇拝の対象になっている(人々は、十字ならぬT字を切る)。みんなが楽しみ、愉快に笑い、不特定多数と快楽のためだけにセックスをしているような「すばらしい」世界。ほどよい労働に従事し、何か嫌なことがあっても「ソーマ」と呼ばれる薬を飲めば一気に幸せな気分になる。そんな文明世界を不安定にさせる「哲学」「芸術」「(本来の意味での)科学」などは、注意深く隠蔽されている。
作中の登場人物たちは、文明世界の虚しさや孤独に薄々気がつきながらも、どう表現すればいいのかわからずまごついている。主人公の人物、3人の若い男は友情を深めながら、文明世界とそれぞれのやり方で「対決」する。快楽を追求した文明世界の統治者である「総統」と、あくまで人間本来の尊厳を守ろうとする彼らとの長い議論は白眉である。
- 作者: ハックスリー,Aldous Huxley,松村達雄
- 出版社/メーカー: 講談社
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