犬の耳

犬の耳

読んだ本、聴いた音楽、観た映画などを忘れないための「いぬのみみ」です

志賀直哉『暗夜行路』


[あらすじ]

祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引きとられて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過す謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。苛酷な運命に直面し、時には自暴自棄に押し流されそうになりながらも、強い意志力で幸福をとらえようとする謙作の姿を描く。

 

長い。(物理的に)重い。(タイトルが)暗い。本書をはじめて手に取ったとき、素直に思ったことである。本を裏返してあらすじを読んで、鬱屈とした内容であることを覚悟した。

 

読み進めてみれば内容はあらすじの通りなのだが、不思議と暗さはない。鬱屈感もあるにはあるが、底の見える程度のものだ。『罪と罰』のような重厚な物語というよりも、志賀直哉の筆力で最後まで描ききったような作品だ。完結まで17年を要したらしい。

 

志賀直哉の文体は剃刀のようにシャープで、透き通っている。描写力は凄まじくて、頭の中に情景が容易に浮かぶ。川端康成の文体をもやがかった白だとしたら、志賀直哉は透明だ。内容よりはむしろ、私は彼の文才に憧れる。悪く言えば読んだ内容が全然頭に残らないのだが、とにかく彼は自分のセンスで物事を描写しきってしまう(少なくともこの本や他の短編を読んだ限りではそう思う)。重い本のどのページを適当に開いて読んでも、それ自体が短編として成り立ちそうだ。まさに夏目漱石が『草枕』中で述べていた理想を体現した小説である。

 

この本、日本文学の傑作らしい。私自身、作中の主人公と同じく東京と京都をふらふら往き来しながらこの小説を読んでいたので、自分自身と重ね合わせるのも面白かった。読み進めながら、志賀直哉のまっすぐさ(の怖さ)、不甲斐なさまで伝わってくる。

 

とにかく、ひとりの人間がその魂をぶつけて作り上げた作品であるのは間違いない。秋の夜長におすすめの一冊。

 

 

暗夜行路 (新潮文庫)

暗夜行路 (新潮文庫)