犬の耳

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読んだ本、聴いた音楽、観た映画などを忘れないための「いぬのみみ」です。くらしのお役立ち情報もお伝えします。

【大学生必見】行きにくい?大学のカウンセリングルームを利用しよう

大学生のみなさん、こんにちは。コロナ禍の学生生活はいかがでしょうか。人によっては、体調やメンタルを人しれず崩している人もいると思います。

 

そんなみなさんに、今日は耳寄りな情報をお知らせします。

 

みなさんは、大学のカウンセリングルームを利用したことがありますでしょうか。利用したことがない人も多いと思います。中高の保健室のようなイメージだと思います。カウンセリングに行きにくいと感じている人もいるかもしれません。

 

しかしながら、このカウンセリングルーム、臨床心理士公認心理師という、心理専門職の方々の本格的なカウンセリングがなんと無料で受けられる可能性があります。これらの方々のカウンセリングは、精神科と併用する場面以外では保険が効かないため、自費で受けようとすると一回5,000円から10,000円程度かかります。それも、一回で終わらず数ヶ月〜数年かかることも多いので、そうした場合自費で受けると何十万もかかります。

 

大学でカウンセリングを受けられれば、その数十万円の費用がまるまる浮きます!心理のプロフェッショナルの方々と一緒に、ゆっくりと自分自身やさまざまなことに向き合うことができます。彼らは守秘義務を固く守ることが義務付けられているので、安心して相談できます。

 

詳しくは、ご自身が在籍する大学のカウンセリングルームに問い合わせてみてください。

悩むのは、決して恥ずかしいことではないと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

佐々木健一『美学への招待』

概要(アマゾンより)

二〇世紀後半以降、あらゆる文化や文明が激しく急速に変化しているが、芸術の世界も例外ではない。複製がオリジナル以上の影響力を持ち、作品享受も美術館で正対して行うことから逸脱することが当たり前になってきている。本書は、芸術が、いま突きつけられている課題を、私たちが日常抱く素朴な感想や疑問を手がかりに解きほぐし、美と感性について思索することの快楽へといざなう、最新の「美学入門」である。

  

美学への招待 増補版 (中公新書)

美学への招待 増補版 (中公新書)

 

 

みなさんは、「美学」っていう言葉を聞いたことはありますか?おそらく、「ない」という人が大半でしょう。もしまわりに「美学」を勉強している人がいたら、「芸術の哲学」のことだよ、というかもしれません。「芸術」と「哲学」というただでさえ難しそうなものをかけ合わせたものだから、とんでもなく難しいに違いない。事実私もそう思っていました。

 

今回取り上げるこの『美学への招待』は、そんな難しそうな匂いのする「美学」の世界に、美学の第一人者ができるだけわかりやすく誘ってくれる本です。この本は教科書ではありません。ただ、私が読み終えた感想は、「美しいとはなにか」ということを考えるきっかけを与えてくれる本であり、そのための切り口を提供してくれる本だ、というものです。

 

私達は何に対して「美しい」と感じるのか?「美しい=芸術」の図式は、便器に「泉」という名前をつけた作品が出展された後の世界では必ずしも成り立つわけではないでしょう。「現代アート」をみて「え...?」と思う人も少なくないと思います。

 

本書はそれらに答えを与えるものではなく、むしろ考える枠組みのようなものを与えてくれるものです。

 

今週のお題「○○の秋」、○○に「芸術」を入れて、『美学への招待』を受けてみてはいかがでしょうか。

 

 

美学への招待 増補版 (中公新書)

美学への招待 増補版 (中公新書)

 

 

アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』

あらすじ

生命の樹を植える誕生日に核戦争は起こった!
言葉を話せない息子、絶望に混乱する愛すべき人々のために、父は神と対峙する…。

1986年カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを初めとする
史上初の4賞を受賞した、映画史に燦然と輝く、タルコフスキーの崇高なる代表作。

 

日曜の夜に、本作を観た。タルコフスキーの遺作である。本作も、他の作品と同じく水の描写や草原がよく出てくる。主題はタイトルにもなっている「犠牲」である。

 

冒頭からバッハ『マタイの受難曲』が流れ、幾度となくロシア正教のイコンが出てくる。無神論者だった主人公が受難と対峙するために神に向きあう。作品は極めてロシア的であり、キリスト教的である。

 

最初からほとんど最後まで暗いのだが、最後、今まで声の出なかった少年が、草原で木に水をやりながら声を出して話すシーンが希望がとても美しかった。その木は冒頭、声の出ない少年に主人公の父親が「毎日水をやれば何かが変わる」と諭していたものだった。

 

この作品を観た直前、勅使河原が撮った『砂の女』を観ていたのだが、日本人とロシア人それぞれの深層の精神構造の違いが比較できて非常に面白かった。

 

鑑賞後、私自身、長い暗闇から救済された感覚になった。

犠牲の先には未来がある。そう思えるようになる作品。

 

サマセット・モーム『月と六ペンス』

あらすじ
あるパーティで出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは――。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。 

 

社会人として単調な生活をしている人の多くは、内心「退屈ではないもの」に憧れているのかもしれない。そこで人々は波乱万丈な人生を歩む人々のインタビュー記事を熱心に読み、並外れた努力をしたスポーツ選手を讃え、その成功物語を時折会社の朝礼のネタにする。しかし私を含めた多くの人々は、そんな破天荒な生活に憧れながらも、自らの生活の枠をはみ出す勇気を最後まで持てずに、時としてがんじがらめの社会の枠から外れた「普通の」人々を哀れみの表情を作りながらこき下ろす。

 

この物語は、「芸術」に取り憑かれ、人生をそれに捧げたある画家の話である。主人公のストリックランドは、画家のゴーギャンがモデルである。

 

主人公は誰もが理想とするような「幸せな」家庭を築き、それなりの地位を得て生活している「普通の」人間だった。しかし40を過ぎていた彼は、突如家族を捨ててパリに出る。そしてタヒチで死ぬ直前まで絵を描き続ける。死ぬ直前に完成させた絵は、彼の遺言に従って火にかけられる。死後彼は天才として認められるのだが、そんなことは彼にとってどうだってよいのだろう。

  

「芸術」とは、近代が生み出した影の部分であると思う。現代の世界は合理性の光で照らされているがゆえに、日常生活で逃げ場のなくなった人々は「芸術」の暗がりを渇望する。だが不幸にも、簡単に芸術に触れることはできない。日曜日の午後に美術館で見た絵画は、たとえそれがオリジナルであったとしても、彼にとっては日常生活に溢れるパスティーシュでしかないのかもしれない。彼はそれを「消費」することしかできない。なぜなら彼は「消費者」のマインドで世界を眺めているからだ。

  

本当に芸術に触れたいのであれば、まずすべてを捨てなければならない。芸術に触れるというのは、ありのままの世界と直接対峙することである。などと偉そうなことを書いては見たものの、私自身、そんなことはこれっぽっちもできていない。それゆえに「人生」に渇望した私は、本作をむさぼり読んだのだ。

 

この物語を読んでいて、「本当の自分」に気がつくとは、本当に恐ろしいことなのだ、と戦慄した。主人公のみならず、この物語にはそういう人間が何人も出てくる。

 

いい文学作品かどうかは、読後どれだけ考えさせられるかでわかると思う。いい作品を読んだあと、ぼんやりと考える時間が一番楽しい。自分の人生に向き合いたい人にはおすすめの一作。

 

月と六ペンス (新潮文庫)

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アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』

[あらすじ] 

人間は過去の出来事や故人の想い出を意識の奥底にしまいこんできた。太陽系とは別の銀河系に属する惑星ソラリスの理性をもつ海は、想像を絶する独自の理性をもつ超知性体であり、その海は人間の潜在意識を実在する形に変換する不思議な能力をもち、人間の理性とのコミュニケーションを拒み続けてきた。その謎を解くためにソラリスの海に浮かぶ宇宙ステーションに到着した心理学者は、目の前に10年も前に自殺した妻が突然に現れて驚く…。

 

この間、初めてタルコフスキーの『ストーカー』を観てすっかり魅了されてしまったのだが、その次に観たこの『惑星ソラリス』もまた素晴らしかった。作中眠くなるとの前評判だったが、私には全くそんなことはなかった。むしろ比較されることの多いキューブリックの『2001年宇宙の旅』よりこちらのほうがはるかに良いと思った。

 

タルコフスキーの何が気に入ったのか。まず、その映像美である。音楽もないまま静かにカメラを回し続ける描写がとても素晴らしい。彼の作品の「音」がまた心地よい。すぐに爆発して壮大な音楽が流れるハリウッド映画とはまた違う良さがある。ドストエフスキーといい、ショスタコビッチといい、彼といい、まったく「ロシア的」である。彼らは多くを語らないことで、雄弁に物語る。

 

私はタルコフスキーが放つ雰囲気、その奥にある哲学の虜になってしまった。結局のところ、彼にとってソラリスはただの舞台装置に過ぎないのだろう。

 

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

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アンドレイ・タルコフスキー『ストーカー』

[あらすじ]

 隕石の落下か、宇宙人の残した痕跡か――。
地上に忽然と出現した不可解な空間「ゾーン」。
ゾーンの奥には人間のいちばん切実な望みをかなえる「部屋」があるといわれ、そこへの案内人は「ストーカー」(密猟者)と呼ばれた。
武装した警備隊の厳重な警備をかいくぐり、命がけでゾーン内へ侵入するストーカー、教授、作家の3人。
「肉挽き機」と呼ばれるパイプなどいくつもの障害を乗り越え、彼らはなんとか「部屋」の入り口まではたどり着くのだが…。

 

映画好きであるアメリカ人の同僚から勧められて本作を観た。原作は『路傍のピクニック』というSF小説らしい。タルコフスキーの作品は初めて観た。時折映し出される水などの映像の美しさ、音にはすぐに引き込まれた。

 

「作家」「物理学者」そして「ストーカー(日本語で普段使われる意味とは異なり、ここでは「追跡者」くらいの意味合いである)」。3人の男が時に哲学的な議論をしながら「ゾーン」へと向かう様は、安部公房の小説『S・カルマ氏の犯罪』を彷彿とさせた。一応主人公は「ストーカー」であるが、作者の視点は客観的で、登場人物のうち誰が正しいといったことはない。SF映画だが派手なアクションなどは一切なく、極めて観念的な描写である。

 

望みが叶う部屋。そこにたどり着いた主人公たちはどう決断するのか。彼らが「部屋」を巡って交わした会話には、人間の本性と存在に関する奥深い洞察が含まれていた。

 

秋の夜長にオススメの一作。

 

ストーカー 【DVD】

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オルテガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』

1930年刊行の大衆社会論の嚆矢。20世紀は、「何世紀にもわたる不断の発展の末に現われたものでありながら、一つの出発点、一つの夜明け、一つの発端、一つの揺籃期であるかのように見える時代」、過去の模範や規範から断絶した時代。こうして、「生の増大」と「時代の高さ」のなかから『大衆』が誕生する。諸権利を主張するばかりで、自らにたのむところ少なく、しかも凡庸たることの権利までも要求する大衆。オルテガはこの『大衆』に『真の貴族』を対置する。「生・理性」の哲学によってみちびかれた、予言と警世の書。 

 

学生時代に手に取った本を再読した。読み返して、当時の自分はオルテガの話を全く聞いていなかったことに気がついた。タイトルの『大衆の反逆』、そして彼の大衆に対する言葉遣いのみを捉えて単なる大衆批判の本として片付けてしまっていたのだ。

 

オルテガの言う大衆。それは現代に生まれた原始人。歴史的発展の上にある現代において、その歴史をまったく理解せず、興味も持たないままただ技術の使い方のみ精通している人間たち。自分より偉大なものに敬意を払わず、義務ではなく権利のみを過大に要求する「慢心しきったお坊ちゃん」である大衆。そして現在(第一次世界大戦後)、人類は向かうべき方向性、未来を持っていない......。

 

私が感銘を受けたのは、オルテガの生に対する向き合い方である。常に自分の生に対して問いかけ、情熱を燃やして闘うことを自身に求める。それが彼の言う「貴族的な」生き方である。それゆえに彼は本書で、共産主義を否定しつつもその内的な精神運動を肯定している。私は彼が言うように人生に目的を常にもち、それに向かって生きることにしか意味がないとは全く思わない。だが、やはり日常生活に忙殺されるなかで、今よりはもう少し自分の生に対して真剣に向き合わなければならないと強く思った。

 

日常生活で自分の生に耳を傾けるのは難しい。その声は、日常生活の発する命令とはしばしばあまりにもかけ離れた、矛盾したものであるからだ。しかし硬直した日常生活に沈殿すると、そのままずるずると時代ごと下降してしまう。生の声とは個人が時代から鋭敏に感受した声であり、生の声に耳を傾けるとは、つまりは時代の声に耳を傾けることなのだと私は思う。

 

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

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